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白の旋律〈白の光〉~旋律№1「人間」と書いて「奇跡」~

〈白の始まり〉

旋律№1「人間」と書いて「奇跡」
                     白
                                                 
「次の瞬間、たとえ死んでしまっても、後悔しない人生を送ろう。」これは僕が最近になって最も強く意識し始めていることの一つだ。それは、「人間」という生物が自分の感情を言葉、文字、絵などによって相手に伝えることのできる唯一の生命体であることに気づいたからであり、また、現在地球上に生息している生物の数を考えてみれば来世、「人間」としてこの地球上に誕生することがいかに奇跡的なことであるか、僕自身少し興味を持ったからである。以下の文章は僕の実体験、人生観を基にした少し不思議で、なおかつ正解は無いが現実の話である。

       1 だから「奇跡」
 「お前、もし人間じゃなかったらどうする?」僕は会う人会う人に大体この質問をすることにしている。それは、自分以外の人間が「人間」であることをいかに考えているかを知りたいが故である。ただそれだけである。大体この質問をすると相手の返答は以下の場合が多い。「そんなこと、考えたことも無い。」あるいは「人間は永遠に人間にしか生まれてこないんじゃないの?」の二つが圧倒的に多い。僕は彼ら、あるいは彼女たちに心の中でこう呟く、「来世、人間に
生まれてこないとしたら、次の瞬間死んでしまっても本当に後悔は無いのかい?」と。
 現在、地球上に生息している生物は数百億、あるいはそれを超えると言われている。仮に一人の人間が死んだとして、来世もまた人間に生まれてくるなんて、そんな都合のいい話があるだろうか?サルの顔に似た人間、チーターのように全身筋肉ですこぶる足の速い人間、何をするにもノロいナマケモノ人間。このような人間を誰しもが一度は見たことがあるであろう。僕は彼らが前世、人間ではなくサルやチーター、あるいはナマケモノであったが故にその名残を人間となった今も残しているのではないかと思うのだ。だとすれば、人間は永遠に人間にしか生まれえてこないなどという屁理屈的かつ不平等な考えは容易に間違っていることに気づくはずだ。と同時に現在、人間として生きている自分、隣に座っているオヤジ、道端にたまっている女子高生ども、しまいには純真無垢な子供達が来世もまた人間として生まれてくる確立は、悲しいがほぼゼロに等しいと言えるだろう。
       
       2 逆転
 僕が今の今まで誰にも話さなかったことを話すとしよう。ちなみに読者諸君は、僕が以下に記す事柄ができるに人間であるという情報を第三者には決して漏らさないでいただきたい。
 簡潔に述べると、僕は身の周りに点在している静物さんや植物さんたち、つまり人間以外のものと話ができる特異体質人間なのである。その結果、植物さんや静物さんたちの気持ちが理解できるだけではなく、いかに人間であることが奇跡的であることかが分かり、それ故「人間」という生物に興味を持つに至った次第である。再度念を押しておくが、第三者にはこの情報を漏らさないでいただきたい。それは特異体質を持っていることが世間に知られたが故に「文明の発展」の名の下に実験材料にされ、死んでいった多くの人々、そして動物さんたちのようにはなりたくはないからだ。一度しかない「人間」としての人生を他人に奪われてしまう悲しさ、辛さ、そして精神的圧迫から来る心の痛みを考えて欲しいのだ。
 それでは具体的に話すとしよう。仮に今、僕の前に消しゴムさんがいるとしようう。彼は当然のことながら人間どもの書いた誤字をこの世から永遠に消し去ることが仕事である。それ故いつも黒く汚れていることだろう。が、しかし僕の消しゴムさんは使う時以外はいつも真っ白である。これを聞くと大半の愚かな人間どもはきっと驚くことであろう。やはり僕の友人達の大半も驚いていたのだから。さ、その汚れ傷ついた消しゴムさんがもしも諸君はどう考えるだろうか?僕がそうであったなら間違いなく一秒でも早く消しゴムとしての生を辞めにしたいと思うはずである。そして汚れ傷ついているのが消しゴムさんの体ではなく、もし人間としての自分の体であったのなら。誰しもが一目散に体を丁寧に洗い始め、痛い体を引きずりながらもやはり一目散に病院へと行くことだろう。これで諸君にも少し静物さんたちの声が聞こえてきただろうか。 
 人間以外の動物さんたちを考えてみるとする。舞台はよく晴れ、暖かく心地良い風が吹く、そんな爽やかで平和な日曜の朝。聞こえてくるのは小鳥さんたちの鳴き声。いつもなら電車の中で聞いているはずの踏み切りの音。しかしそんなことはどうでもよい。だって今は真っ白い布団の中なんだから。しかしそんな平和な音に混じって叫びにも似た声が聞こえてくるではないか。布団の中から右耳を出して聞いてみると、「ズズズッズッズズッ」今度は左の耳も出して聞いてみると、『ッッッウッウウー。キャウゥ―ン』といかにも第三者の同情を引くような犬さんの散歩に対する必死の抵抗と悲哀に満ち満ちた心の声が聞こえて来るではないか。しかし、犬さんたちが泣いてみても、全ての肉球に全力込めて飼い主の引っ張る力に抵抗しようとも、結局は散歩せざる終えないのである。それは彼らが人間でないが故に言葉が使えないためである。それを考えるだけで僕は耳を覆いたくなり、出していた耳を両方ともまた布団の中にしまうのである。
 常日頃、首輪を付けられ鎖につながれたまま、固くて旨味のない飯を食わされる。そんな毎日が続くだけ。今日も自分の意思とは逆に引っ張られ、見たい世界も見られずに一日は終わっていく。壊れた犬小屋の屋根から滴り落ちる水滴で目が覚める。毎日目に入るのは同じ風景ばかり。
 隣から聞こえてくるのはまた別の犬さんの声。顔を見ることはできない。なぜならそこには、犬さんにとっては高くて固すぎる人間が造ったコンクリートの壁が立ちはだかっているのだから。
 最近、よく見かけるのが精気も失い腹の肉も弛んで一日中横たわっている可哀想な犬さんだ。仮に諸君が犬さんの立場だとしたら何に、そしてどこに生きる楽しみ、そして希望を見出すことができようか。僕はペットを飼っていない。人間以外だからといって他の動物さんたちをペットの三文字に当てはめるのに残酷さと人間の醜さを覚えたからである。動物である人間がやはり同じ動物である犬さんや猫さんを「ペット」にするというのなら、人間が人間の「ペット」あるいは人間が犬さんや猫さんの「ペット」にもなり得るのだ。もしもその「ペット」が自分だったのなら……。
 実際にはありえない話だが、仮に人間が人間のペットだとしよう。よりリアリティーを増すために隣の家の子供をペット、そして母親を飼い主という設定にしよう。 
 朝起きた息子のA君はあかい首輪に首を締め付けられ、昨日の母親の食べ残しを食べ始める。勿論、食欲が満たされないばかりではなく、ストレスもたまる。結果、「ママ、お腹がすいたよ、もっとおいしいものをたくさん食べさせてよっ!」
と叫ぶのだ。すると母親は、「うるさいっ!あんたはペットなんだから黙ってなさいっ!」というのが関の山である。すると息子のA君は腹をすかせたまま肩を落とし、短い生涯ではあるが犬小屋の中で次の飯の時間までの暇つぶしをするのである。(当然息子のA君は)ペット扱いだから、犬小屋では精一杯に体を小さくし、できる限り寒さを防ぐために体を丸めるわけである)実に惨めである。
 しばらくして母親は外へと出かけ、息子のA君も少し小屋の外へと出て体を動かしている。すると隣の家から、やはり人間ペットである娘のBが話しかけて来る。
「あなた、今日の朝ご飯何だったの?」
すると息子のA君
「昨日の残り物の固くて冷め切った焼きそばに申し訳程度に味噌汁がぶっかけてあったよ。」
すると娘のB
「あらあら、あなたも私と同じで飼い主にひどい扱いをされているのね。私の朝ご飯は固くてカビの生えかけたパン耳に牛乳がぶっかけてあって、ドッグフードが少し添えてあったわ。」と悲哀に満ち満ちた声でこうこたえる。
 その後、娘側の飼い主が二人(いや、ここでは二匹というべきであろうか)に対してこう叱る。
 「本当にうるさい奴らだね、いちいち注意してやんないと分かんないのかねっ!このバカどもがっ!今度うるさくしたら飯抜きだから覚えておきなさいよ、まったくもー。」
 娘Bはこれ以上無いくらい低い声の調子で小さく「はい。」とだけ答え、小屋へと入る。息子Aは、いつもの見慣れた空に向かって小さくこう呟く、「どうして同じ生き物なのに……。」と。そしてまた暗くて狭い小屋の中で次の飯を待つのである。
 そのうちに小屋から出るのも面倒になり、今にも消えてしまいそうな弱々しい光を放つ目に映るものは、固くて高いコンクリートの壁よりも更に強度と高さを増した「人間」という名の壁なのである。ここで読者諸君に一つ問いかけをするとしよう。彼らは「次の瞬間、死んでしまっても」果たして後悔はしないだろうか?そして諸君自身が彼らの立場であったのなら後悔しないだろうか?
 ほら、傷だらけになって真っ黒になってしまった消しごむさん、そして庭先でぐったりとうなだれている君の犬さんに少しの愛情を注いで見るべきではないだろうか?彼らの声を聞きたいと思った不思議好き人間はやってみるといい。明日朝、君の耳には生きとし生けるものさんたちの生の声がほんの少しだけ聞こえてくるであろう。
 以上の事柄は、正直なところ僕以外にも考えたことのある人間が山ほど、いや、宇宙の星の数以上にいることであろう。しかし、以下に述べる事柄は諸君も初めて耳にするであろう実話と、一般の人々の頭ではかなり喚起することの難しい映像とを駆使してお伝えすることにしよう。
       
       3 Thanks my wall
僕の趣味は「人間観察」である。読者諸君はこれを聞いて僕という人間に対して少し偏見の念を抱くことであろう。もちろん、そんなことは百も承知である。なぜなら、十八年間生きてきて今の今まで同じ趣味を持った人間が一人もいなかったのは明白な事実だし、その単語を話した人間もやはりいない。 
 自己紹介の場などで僕がその趣味を明かしたとき、幾度となく場の雰囲気が冷め切ったのだって事実だ。そんな僕だからこそ、あるいは僕だけにこそ見える世界があるのだ。
僕が「人間観察」を行うようになったのは生まれたときか他人に裏切られ続け、傷つくことに対する辛さがもう限界に達し、発狂しそうになり自殺も考えたからである。そして自分を守るには相手の内面世界を全て奪い去ってやるくらい知る必要があると思ったからである。さあ、ここから僕の世間に対する反撃が始まる。
 「○○くん、人の話は目を見て聞きなさい。」と、誰しもが一度は耳にする人間世界の道徳的助言を今日もまた耳にする。速決に述べると、僕が会話をするとき、あるいは、相手の話を聞くときにその人の目を見るようになったのは
十七歳のころである。もちろん、「人間観察」はそれ以前からも行っていた。しかし、「それ」を行う上である日、僕の目の前に東京都心のビル、いや、太陽の南中高度にも負けず劣らずの、すこぶる高い奴が立ちはだかったのだ。
 奴は僕に言う。それも高飛車に、かつ自信満々そうに。「それは完全なる人間観察なんかじゃない。相手の内面世界に侵入し、自分がそれを奪い去ったときに成立する。」と。そういうと奴は目を閉じ、何事も無かったかの如く眠り始めた。
 夢、もしくは幻覚のような一瞬の出来事……。しかし一つだけ覚えていることは、あのときの奴は確実に僕の内面世界に侵入していた。そして奴と僕の眼球は寸分の狂いも無く一つの線で結ばれていた。その後、僕の心の中にはしばらくの間、いとも簡単にそれもあの一瞬で進入されてしまった悔しさと情けなさとが、全人類の心の中に押し込んでもまだ足りないくらいに量を増し続け、不安、苦痛、失望の表情として外にあふれ出てきた。ものすごく心が苦しかった。外にこの気持ちを放たなければ内部爆発が起こり、「僕」という人間が消滅しそうだった。
 あまりに苦しすぎたので僕は内面世界へと戻り、気持を外に逃がすための蓋、あるいは緊急用の脱出通路の出口でもあればそこをぶっ壊そうと考えた。
 僕はひたすら歩き回った。しかしどこにもそれらのようなものは存在しなかった。(あまりに世界が広かったのも原因の一つだろうが……。)
ふと気づくと、僕の周りには先ほどの悔しさと情けなさの波とがそぐそばまで差し迫っているではないか!なんとしたことだ。僕としたことが自分の作り出したものに殺(や)られてしまいそうになるとは。しかし、こんなところでくたばってたまるか!まだ、壁の奴との勝負が残っているのだ。そう思いながら、あと僅かしかない陸地をまた次のそれへと向かいながら足がイカレちまいそうなくらい必死に走った。
「もう限界だ。」足がイカレる前に精神がそうなってしまったらしい。次の瞬間、辺り一面は暗黒世界と化し、いよいよ終幕かと思った。その時、僕の目の前に見覚えのある顔が現れたではないか。ごつごつと荒々しく所々にひび割れが目立つ。一部には見たことのない草まで生えているではないか。そいつが目を開いた瞬間、僕の脳裏に「壁」の一文字が浮かび上がった。かろうじて意識を取り戻した僕は、今度こそ奴を負かしてやろうと強く思った。 
そうだ、奴の内面世界への侵入を試みよう。すぐさま奴の眼球をにらんだ。壁の中に更に高い壁がある。そうとしか形容しようがないほど奴の防御能力は絶対的だった。しかしここで屈する僕ではない。今度は僕の眼球をできるだけ奴のそれに近づけ、奴の奥の奥に焦点を合わせるように試みた。「まぶしい、なんて純度の高い光なんだ。」それが更に強くなりだしたと思うと、僕はもう奴に抵抗しようなんて考えなくなり、しばらくの間その光に心を奪われていた。
あの時、壁の眼球が放つ光が、僕の記憶に刷り込んだものは依然として未解明なままである。しかし、「壁」は一言もしゃべらなかったし、あの後僕の心の中には心地良い春風のようなものが吹き抜けたことだけは事実だ。おそらく奴は、言葉は無くても目を見ることで相手の全てが分かるということを教えてくれたのだろう。もちろん、この考えに正解なんてものはないしこれから先も僕の答えは変化し続けるであろう。
あれ以来、人間の生の眼球を見るのが僕は楽しくて仕方がなくなったのだ。そして、人間の感情の出口、入り口は眼球にある。そう自負したのである。
「Thanks my wall」……。

       4 彼らの叫び
 この地球という星には人間以外の動物さん、あるいは先ほどの消しごむさんのような静物さんたちのほうが圧倒的に数多く存在していることは言うまでも無いことである。が、ここで話が終わるわけがない。それはこの文章を書いている人間が「人間観察」を趣味としている人間を拒み、偏見をしているような狭い世界の中でしか生きることができないそんな小さな人間ではないからだ。
僕だけにしか見えない世界がある。少しでも力を緩めれば大爆発を起こし、天地もろとも吹っ飛ぶであろうくらい強い気持ちを掌と全身に押し込め、僕自身の全神経に「理性」という名の警備員を二十四時間体制でフル動員させ、明日も昨日も、そして今日も必死でとどめているのだ。(頑張り過ぎて最近では右手さんがほんの少し緩みだしたのは気のせいかな?)
「今日もまた隣の先輩が崩れ落ちたよ……。」
「当時は真っ白でその中には何百人もの人々が出入りしていたって噂だよ。」
「次は誰の番なのかなぁ?そう考えただけで体の中に空虚感が漂うよね……。」
 東京都心、全世界の背の高いビルさんたち。彼らは人間たちによって生み出され、老朽化が進み不必要とみなされればすぐに足元に爆薬を仕掛けられ、「ドッカーン……。」今日も世界中に悲しみの声が響き渡る。
仮に今、目の前で一人の老人の足元に爆薬を仕掛けてみるとしよう。それも君の目の前で、君自身の手によって。並外れた精神力の強さを持つ人間、もしくは殺人マニア、あるいは狂人でもなければ指先が震え、スイッチを押すことはまず不可能だといえよう。しかし、話を円滑に進めるために少々気の毒ではあるが、君には殺人者役、そして老人には他界者役をお引き受けしていただくことにする。
(あくまでも僕の小説世界での話であるから心配御無用)。ではスタート!
 意思に反し君はスイッチを押した。押してしまったのだ。するとどうだろう。君の目に映るはずの一瞬の出来事がビデオのスーパースロー再生よりもはるかに遅く、吐き気を催すくらい鮮やかに君の画面に広がっているではないか!
足元から徐々に老人の疲れ果てた肉体。飛び散る血液の一滴一滴が鋭い意思を持ち、まるで君に対して怒りの感情をぶつけるかの如く訴え、君の髪の毛一本一本からつま先に至るまで暗黒よりもドス黒い罪の意識を植え付ける。
ふくらはぎが破裂し、膝のお皿が木っ端微塵に吹っ飛び、肉の密度が割りに多い太ももも微塵の肉片と化し宙を舞う。
 休む暇も無く次は腰から上だ!体の中心で常日頃バランスを調整し、重力に耐えている頑丈な骨盤さえ原形をとどめない。そして油気も失い、肋骨(ろっこつ)が皮膚を突き破らんばかりに痩せ細った上半身。その肋骨が下から綺麗にドミノ倒しのようにその役目を終えていく。 
長年の間、一度も止まることなく走り続けてきた頑張り屋の心臓さんもついにその時が来た。老人の目に生気と光が失せた。そう、彼は死んだ。君の指先の運動一つによって。スイッチのオンと命のオフ……。
 後の光景は言うのも痛々しくて辛い。しかし、より自分勝手な人間諸君に罪悪感を強く深く植え付けるために僕はここに記す。
 喉仏(のどぼとけ)が人間の鼓膜を貫き、ぶっ壊すくらいに大音量、なおかつ超高音の悲鳴を上げる。
 いよいよ最後は頭蓋骨。その前に眼球のことを書かなくちゃ。眼球だけは人間の体の部位の中で唯一、表情を変えないと言われている。その一番柔らかい部位であろうそれが、一番壊れるのに時間がかかったように思える。僕の私的感情でなおかつコンマ何秒かの世界だ。もしかしたら同情から来る錯覚なのかもね。
 長らく君を待たせたね。さあ、最後は頭蓋骨だ。人間の脳を守るが故に一番強固であることは言うまでもない。そいつが鈍く低い低い地鳴りにも似た音を立てて粉砕!そして人類の進化の過程で常に先頭を走り続けてきた脳ミソが爆発!例えて言うなら……、あっ破裂したスライムがいい例かな。その破片の中にイモ虫を混ぜ込んでみると限りなく近いね。
 ねえ君、空想世界で一人の人間をスイッチ一つでこの世から葬る気分はどうだった?これがもし空想世界じゃなかったら……。葬られるのが君だったら…
…。そう、一瞬のうちに目の前には恐怖心の壁、背後には現在に至るまでに人間達によって消滅させられてきた数多くの魂の塊たち。小さなシャープペンさん:から大きなビルさんに至るまでいつもこの恐怖心と戦っているんだ。
 たまに、そのシャープペンさんの書き味が別物かと疑うほど気持ち良かったり、ビルさんが太陽に向かって胸を張り、精一杯まだ頑張れることを人間に見せようとしているよね。
 そんな風な経験をしたことがあるのはたぶん僕だけじゃないよね?

       5 隣神
 すごくスケールの大きなもののことを改めてよくよく考えてみると、実は近くにありすぎていたが故にそう見えていたり、気付けないということは数多く存在する。そして気づいた瞬間というのは、大体寒気がし、鳥肌が通っており、そこを触ってみると嫌な寒さを感じる……。誰か他の人に話さなければ外に溢れ出てしまいそうなくらい静かな恐怖心が心の底から沸々と湧いてくる。何か、知ってはいけないことを自分一人が知ってしまったような……。そんな不安を伴って。
 そう、あれは間違いなく僕が十六歳の時の夏のことだった。三時間目の「Ⅰ」先生の数学の授業中、僕は一番前の席で制服を着てダラダラとひたすら汗を流す彼らと一緒に授業を受けていた。Ⅰ先生は学校一、板書のスピードが速くてその量がハンパじゃなく多いんだ。おまけに年がイッちゃってるから一言で片付けるならば周りが全く見えなくなっている。
 左手には常時ハンカチ。汗の量もハンパじゃない。(ハンカチ君が非常に可哀想である)。古い型の四角くて必要以上に大きすぎるレンズを搭載(とうさい)した眼鏡。(この期に及んで何を見ようとしているのか彼は……。)
 今日も一人、また一人と力尽きてバタッ、バタッ。隣もバタッ、後ろもバタッ最初から力尽きている奴もいたっけ。それくらいハードな授業なのだ。雑談無し、生徒との触れ合いも一切ない。彼には人間が「物」に見えているのかもね。(僕とは逆の性質かな?)
 僕は夏といおうが水分をほとんど取らない人間だ。それは、汗をダラダラと流し、ベタベタになり、それでもまだ水分を吸収しようと試みる人間どもに見苦しさを感ずるからである。
 生きている感じがしないときって誰にでもあるよな。とは言え僕は一回も彼の授業で気を抜いたことはないし、手を抜いた事だってない。おかげで数学もいつも高得点だったっけな。故に十六歳の夏の出来事だったと断定できるわけだ。(あんな生き地獄を忘れろって言うほうが無理だ!)
まあ、そんなこともありつつ本題に入るとしよう。どうして「人間」人間が地球から溢れ出てしまわないのか?って君は考えたことがあるかい?
一つは重力があるから。一つは大都市での人の波に窒息寸前になった人々が田舎に移り住むから。一つは未開の地があって人々がそこを目指すから。しかし、そんな科学者どもの意見では騙せないぞ!周りから反論意見を固めていくとしよう。
一つ、近年嫌気が差すくらい耳にする「地球温暖化」。南極の流氷が気温の上昇によって溶け、水位が増し、今日も陸地が喰われている。一つ、科学技術の進歩により、食が豊かになり人類全体の平均年齢が高くなっているにもかかわらず人間は地球から溢れ出ない。なんていう難しいこともあるが、それよりも更にバカデカく、なおかつ鮮明な理由がその時の僕の頭の中を洗脳しやがった。
地球という星に人間という生命体が誕生してから今の今まで誰かに計算しつくされているかの如く、おかしな話だが都合がいい時期に戦争が起こり、多くの人々がこの世を後にした。
後から歴史を見ると怖いくらい規則的にそして上手い具合に人間たちに悟られないように常に人間の数は地球内にとどまることの可能な数を「保たされている」ことに僕は気付いてしまった。それは人間の驚くべき進歩の速さと、その力を恐れた「神」と称される奴が地球の中だけに人間を押し込めておくための術なのかもね。
 最近ではあまりに規則的に戦争が起こりすぎて、僕みたいにその意図に気付く人間が出てきた結果、「爆弾テロ」とか「感染ウィルス」とかも使い始めているみたいだが……。そんなことをしたって無駄さ。だって僕の目にはシーソーに乗った二人の人間のうち軽いほうが沈むって話くらいに不自然に映っているのだからね。
 今現在、生命体が生息するのに最も適している星は地球と称されているわけだが、その地球も近年、人間たちの手によって消滅の危機にさらされている。「神」という奴が本当に存在するのならば、本来人間という生命体を生み出した理由はもっと他にあると考えることができるであろう。
 例えば、美しい星を守るべき技術を身に付けることが可能な知能を様々な分野に活かさせるとか、地球にとどまらず、宇宙規模で通用し得る芸術を生み出させるとか。もしかしたら人間の知能と肉体、そして文明の発展の過程を神自身が単なるヒマつぶしとして観察するために僕らは誕生せしめられたのかもしれない。だとしたらその点だけは案外僕と気が合うかもね。だって……僕も観察好きだから。
 僕は人類の進化の過程やら、歴史といったものに全く興味が無い。正直、そんな研究やら調べ物をしているより、「時間」というものを「今」生きていることに費やしたいから。
 そこで、大ざっぱに地球の誕生から今に至るまでを僕の視点から述べてみるとしよう。
 地球という星に生物が誕生し、上手い具合に進化の過程を隔て、言語能力を身に付けた。どうだろう、ここまでの話でもかなりおかしな点だらけである。宇宙はとてつもなく広いのになぜ地球一つだけが生命体の宝庫となったのか?また、恐竜の絶滅のように途中で進化を中断せざるを得なかった何らかの障害物は無かったのか?そして最大のおかしな点は数え切れないくらい数多く存在する生物の中でなぜ、どうして、人間だけが言葉を使えるのか?普通、動物さんはみな、泣き声を持っているのだから言葉を使えるそれらがもっと存在していなくては逆に不自然である。進化の過程のどこかで人間の会話を耳にし、難しくは無いだろうに。しかし、こんなところでつっかかっていたらこの先疲れてしまうので、まあ、「偶然」という言葉でも借りて先に進むとしよう。
さあ「言葉」を身に付けた僕たちの先祖たちは、常に「今」よりも豊かな生活を求めて日夜、文明の発展に労力、いやそれだけにとどまらず一生涯を費やしてきた。そうなると今度は熾烈(しれつ)な権力争奪戦が始まる。誰が、そしてどこの国が一番なのか。次第に争いに熱が入りだし、国同士の熾烈な潰し合いが勃発する。人間たちの産み出した兵器の破壊力は地球一つくらい軽く吹っ飛ばすところまで来た。やはり調度その時くらいにも戦争が起こっていたっけ。そして何人もの死者が出た後で人間たちは初めて過ちを犯したことに気付く。しかし、数十年後、また「偶然」の如く起こり、やはり多数の死者を出す。いつも地球の危機と隣り合わせに多数の死者がいて、悪事を働く人間たちが戒めを受けている。このサイクルを繰り返すことによって地球は永遠に消滅しないし、永遠にここから人間が溢れ出ることはないし、過剰なほど早い文明の発展も近いうちに限界を向けるだろう。
実に上手い具合にできている。「神」がいるとしたら、地球は鍋とその中の沸騰したお湯で、僕らはその中で生まれてはすぐに消えてしまう儚い儚い無数の泡。そして「神」自身は沸騰し、ふきこぼれようとするお湯の中にギリギリのタイミングで冷水を流し入れる、言わばコックのような存在ではなかろうか。実にできすぎていて怖くなる話だ。そう気付いたと時、僕の腕には例の嫌な冷たさの鳥肌が立ち、やはり冷たく嫌な感じが全身に走り抜け、汗なんかとっくに引いてしまっていた。
そう言えば機会の計算能力のほうが人間のそれよりも遥かに優れていることを実証したのは悲しいことにやはり人間だ。では何故、僕らは夏の暑い中「数学」などというものを学習しているのだろうか?人間が計算を行う意味はもはや無いのではないかと疑り始めたのもあのころだな。その質問をあの数学教師「I」に聞かぬまま今に至った。彼は今、どうしているのかな……。

       6 sign
 「動物的感覚が働く」が働くという言葉がある。皆さんもご存知の通り、物体として現すのは難しいが少し先の未来を意識とは関係なしに予知することである。その「感覚」が働くときは大体、未来に待っているのが自分もしくは知人に対する危機であり、負のことである。その感覚の鋭い、鈍いは人それぞれであろうが、これだけは確実に言えることだ。「人間」は誰しもが必ずこの感覚を持ち合わせている。
 その感覚が指し示しているものとは来世、人間としてこの世に誕生することがどれほど「奇跡」的であるかという一種の教えのようなものであろう。それが心の奥底にあるが故に人間は一生懸命に生きているんだよ。単に走ることが好きだからとか、歌を歌うことが好きだから頑張っているんじゃない。「人間」として再びこの世に誕生するのに膨大な時間を費やし、辛いこと、悲しいことも他の動物でいた時に何度も何度も経験した。人間ではなかったが故のね。だから人間として再びこの世に生まれ、その喜びを全身で噛み締めて魂が擦り切れるまで「人間」を楽しみたいと魂自身がそう思っている。だから僕らは頑張れるんだよ。また立ち上がれるし、何度だって諦めずに明日に立ち向かう。
 世に言う作家、音楽家、芸術家たち、あるいは自分が他界した後の世界に「自分」(作品)を残そうとする人物は、かなり動物的感覚が鋭く、冴えている人たちだと僕は思うのである。だって、人間の時に残した何らかの作品がまた数百年、あるいは数百億年後に自分が再び人間としてこの世に誕生した時に残っていたとしたら、それはすなわち数百年、あるいは数百億年間、人間としてこの世に生き続けていたというステキな証になるではないか!だから僕も本をこの世に残し、永遠に人間としてこの世に行き続けるために、そのために全力で一文字一文字に魂を込めて文章を記しているのだ。自分の気持ちを何らかの形で相手に伝えることのできるのは人間だけだから。本当に素晴らしくて胸が熱くなるよ。今、それをできることが可能な立場にいるんだから。
 全く同じとまでは言えないだろうが、歴史的作家、芸術家たちも似た類にことを「動物的感覚」で察知していたに違いない。だから、作品の製作に一生涯を費やしたのであろう。その努力と労力が報われ、今もなお彼らの作品とその中に生きる彼らの魂は語り伝えられている。実に羨ましい。人間として他界して数十年、あるいは数百年経った今もやはり人間としてこの世に生きているのだから。永遠に人間でいられるのだから。
 動物は人間も含め皆、この世に生命を授かった瞬間、残酷な話だが「死」に向かっての歩行運動を始める。意識しにくいのだが、未来ではなく僕らは「死」に向かって歩んでいるのである。
 いつ訪れるのかなんて誰にも、そして自分にさえも分かることのできない「死」。それを助けるのが先ほどの「動物的感覚」であろう。その感覚が桁外れに優れていて鋭いが故に自分がいつこの世を去ってしまうかが分かってしまう。そんな経験をしたことがあるのは僕以外にもいることであろう。
 僕の場合、人が事故で死ぬとか、自分に対して殺意の念を抱いている者が身の回りにいて、それらが僕の命を奪おうとしている臭い、あるいは目に見えない空気の流れと質感の変化が手に取るまでとは行かないが分かる。今までも幾度と無く他界の機器を寸前でかわしてきた僕。年齢を重ねるにつれ、この感覚は鋭さと正確さを徐々に増して行き、十八歳となった今、何時間後かに起こり得るであろう自分に対しての負の事柄をあらかじめ感じ取ることができる。だから最近では他界寸前の危機というヤツは少し減ったようにも思える。
 そうそう、その他にも視界に入っている他人にこれから起こり得るであろう負の事柄が襲い掛かろうとしていることも分かるのだ。その事柄の大小まではまだ完全には予知できないが……。
 これを聞いて諸君は偶然、もしくは嘘だと思うであろう。しかし、これから上げる僕の実体験を聞けば、僕の言わんとしていることが分かるであろう。さあ行こう、舞台は今から四年前の初夏の早朝だっ! 
 当時、中学二年生だった少年はいつものように学校に一番乗りしようと軽快に自転車をこいでいた。目の前に広がるのは自転車に乗っている人間のために決して過言ではないくらいの長い長い下り坂と風をぶっ切るには最高なロングストレート!いつもの様に下り坂のスタート地点を早る気持ちを抑え通過する。なんて気持ちの良い風であろう。冷たくて、透き通っていて、大地と生命の香りが僕を包む空間全体を満たしている。いつまでも下り坂だったらいいのに、まるで深海中をものすごい速さで前へ!そしてもっと前へ!と進むようだ。頬をなでる優しくヒンヤリとした風はロングストレートに差し掛かってもしっかりと僕を包んでいる。このまま、このまま……。
 ロングストレートも終わりに近づき、少し気を落としかけたその時だっ!「ドンッ!」という鈍い音がしたかと思うと、目の前の世界は平行感覚を失い、僕は車道に激しくものすごすぎる力で自転車共々叩きつけられていた……。
 意識が戻ったのはそれから約二、三分後、無意識にとはああいうことを言うのであろう。僕は立ち上がったかと思うと冷静すぎて気持ち悪い汗が流れ出るくらい、実に手際良く自転車を立て、車道から歩道に持ち上げて移していた。自転車の後輪を地に着け、前輪も同じように地に着けたその瞬間と同時に僕の横をものっすごい速さで白の乗用車が過ぎ去っていった。それもその一台だけである。先ほど流れ出た汗が引き、再びそいつが流れ出てくるくらいに気持ち悪かった。その地点はちょうど直線を終えて、カーブに差し掛かる寸前の所だったので、仮に僕の存在に運転手が気付いていたとしても、間違いなく即死だったろう。
 テレビのドラマなんかでたまに、自分の体から魂だけが抜けて、自分の肉体を自分で見ているなんてのがあるが、説明するとしたらあんな感じに近いかな。唯一つだけ異なっているところがあるとしたら、肉体にも魂が宿っていたし(自転車を動かすという運動をしていたのだから当然だ。)魂自身にもちゃんとそれが宿っていた。その証拠に僕の脳裏にはあの時の僕の表情、動作の順序があたかも第三者を見ているかのごとく強烈に、嫌になるくらいに鮮明に焼きついている。動作の方は先ほど説明した通りである。表情はというと、あれが事故直後の人間の表情なのか、そして自分でも可哀想になるくらい、顔に全く表情が無いという感じで、まるで魂が剥(は)がれ落ちて、魂がどっか遠くへ行ってしまったような感じだった。「色のない空」、「文字のない辞書」、「果肉のない果物の内側世界」、そして「表情のない人間」。在るべきものたちが在るから世界があるんだ。そう実感せざるを得なかった。
 我に意識が戻るまで約二、三分。ふと足元を見ると誰の目にも留まるであろうかなり大きな石。しばらくそいつを観察していると、存在ではなくその憎悪に満ち満ちた強いオーラに気付けなかった自分が情けなく思えた。
 奴のそれは気付いてみると人が放つオーラよりも果てしなく強く、まるで「意思を持っていたかのようだった。」
 しばらく奴に目を釘付け状態にされていた。その停止している時間を解き放ち、ぶっ壊してくれたのが僕の体のケガから起こる痛みだった。夏ということもあって上着は汚(けが)れなど全く無く、果てしなく白く白いワイシャツだった。その一面の美白世界にできた赤いシミと擦れて破け、醜いまでにキレイにできた穴。左肩。ものすごく痛かった。それにズボンにまで擦れ跡。
 朝の清清(すがすが)しいそれ以前のワイシャツの真っ白い色に似た僕の気持ち。それを奴は一瞬で蹴散らしやがった!僕にできた精一杯の反撃はやつを力一杯けって蹴ってちかくの田んぼにぶち込んでやる事だった。
 その日一日、僕の気持ちは死を回避できたことへの多少の安堵と石に対する恨み、そして何より動物的感覚がいかに人間を生き長らせ得るという事で一杯だった。恐かった。本当に死んでいたかもしれない。「人間」が終わってしまうかもしれない瞬間だったのだから。
 僕の気持ちは、田んぼに落とされたあの石のようにどっぷりと泥に沈み込んでいたように思える。嗚呼、わが青春に一点の曇り在り……。
 あの夏の出来事以来、僕は静物さんたちにも命が宿っていることを知ったし、それ故に疑念を抱く対象物の存在が人間だけでは留まらなくなってしまい、この世に存在する物、そして生きとし生けるもの全てから僕の命を狙われているような、どん底の黒く暗い不安の中に落ち込んでしまった……。そう、あの時、力一杯田んぼに落としてやったあの石の如く。
 そしてあれ以来、僕の動物的感覚は年を重ねるごとに冴え渡るようになり、幾度となく他界の危機を免(まぬが)れてこられた。
 死なないために生きているのではない。生きてもねぇのに死んでたまるかっ!

       7 反発
 「逆説世界」(Paradox world)。視点を一八〇度変化させて、僕たち人間が一人残らず全員、来世もまた人間としてこの世に生まれてくることを既に知っている状態で生活しているとしよう。
 すると、今まで必要とされていたものと、不必要とされていたものとの価値判断に多少の狂いが生じるであろう。
 まずは、僕らが人間であるが故の証である「法」。悪事を裁き、同時に僕ら一人一人の体と悪事を企(たくら)むそんな考えを死ぬまで縛り続ける厄介な奴。物体でない上に実体も無いので、実に困った厄介者さんだ。必要とされていた時は屋上の一流高級レストランで使用されている卵。しかし、不必要となればその屋上から無残にも落とされてしまい、原形もその存在価値も「無」に等しくなってしまったペシャンコ、グチャグチャのただのゴミ。
 「法」が無くなったも同然となれば、悲しいことだが犯罪者と善人の比率は当然、逆転する。来世もまた人間として出生することが分かっていれば好き放題、
犯し放題、犯罪行為を実行出来るからだ。嫌な話、被害者の目の前で加害者が憎たらしい微笑を浮かべ、ナイフを胸へと突き刺し何の迷いも無しに、自殺を試みている場面がまざまざと思い浮かぶ。警察に捕まって罪を受けないために……死ぬ。死んでも来世はまた晴れ晴れと人間ってわけだ。つまり、法が無意味なものとなると警察、刑務所、あるいはその他の罪人を裁く機関も同時に意味をなくすのである。実に恐ろしい話だ。
 死んでも来世もまた人間として生まれてくることを知っている人間たち……。僕の考えを述べるとしたら、イカレタ人間が増加し、人間であるが故の理性をも簡単に失い、そして他の動物さんたちの生活スタイルにガンガン似てくるであろう。そうするとどうなるのか?答えは簡単、「地球という星に人間はいなくなります。」だってそうでしょ、「一 生 懸 命」に生きる理由が一つも無くなるんだから。ひょっとしたら「人間」という単語、そして存在自体も永久消滅してしまうかもね。
 僕らは動物の中で一番弱い種族だ。そして他の動物さんたちに最も嫌われている動物NO・1だろう。そんな僕らが、知能もろくすっぽ使わず好き放題やっていたのなら、その隙を突いて次に頭の良いカラスさんやサルさんたちの軍団を筆頭に他の動物さんたち全種類、全員から一気に襲撃を食らわされることになるだろう。
 僕らが永遠に人間にしか生まれてこないということは逆に言うと、他の動物さんたちは永遠に人間に生まれてくることは不可能である。なぜかって?人間が人間にしか生まれてこないという設定の中で仮に一匹の動物が奇跡的にも人間に生まれてしまったとしよう。すると、設定上そいつは永遠に人間の生を手に入れることになる。
 そんなことが何百、あるいは何千と起こり始めたら、地球には人間しかいなくなるではないか!そんな事が無いように、上手く全ての魂がまた別の肉体へ肉体へと乗り移り、一つの種族が絶対的な力を手に入れることが出来ない仕組みになっている。仮に人間のような力のある種族がこの星に二つもいたら、毎日が戦争で明け、そして暮れてしまうことであろう。だから力のある種族は人間一つだけ。そして、その力を制御するのが知能であり、理性なのである。誰が考えたのかは知らないが、実に上手くできている。
 だから諸君、人間は人間にしか生まれてこないなんて柔(ヤワ)な考えは捨てたまえ。人間にしか出来ないこと、それを一生懸命になってすればいいんだ。僕らは考えることが出来るそれだけですばらしい。僕ら全員で「Paradox world」の出現を全力で防ごうではないか!

       8 潰し合い
 そうそう、一つ言い忘れてしまったことがあったよ。先ほど僕は会う人会う人に、「もし人間じゃなかったらどうする?」と聞いていると言ったね。でも、もう一つ聞いていることがあるんだ。それも答えがあるかどうかは分からないし、僕にだって分からない。ただ常に考えるようにはしている。それは……「君は神の存在を信じるか?」ということ。
 やはりここでも僕の小規模調査の結果をお伝えするとしよう。やはり意見は、真っ二つに割れている。ある人々の意見は「信じる。だって神様に願い事をしてみたら叶ったし、それに奇跡は神様が起こしてくれるものだから」だとさ。片一方、つまり反対意見のPeopleは、「いないに決まっているでしょ、そんなの。いたら世界に不幸や不平等なんてないし、……」それに見たことが無いから」だと。
 確かに。両方とも正しいようで正しくない。あるいは、正しくないようで実際には正しいのかもしれない。でも分かれないよな、そんなの。だって分かちまったらそいつが神になっちまいそうじゃん?全てを知ってしまったらそいつが王様になって、神様になって、一番になっちまう。
 「じゃあ、そんなお前は神の存在を信じているのか?」って?んー、そうだなー。一言で言うと、信じたくはない。けど、存在している気がしてしかたがない。でも、存在を否定する根拠がない。まあまあ、そうイライラせずに最後まで聞いてくれ。僕だって人々に平等に与えられた時間決して無駄に浪費しているわけじゃないんだ。毎日毎日考えている。だから「人間観察」なんてものも始めたのかもしれない。目に映らないものを捕らえて自分のものにしたいから。でも存在が見えない。実に厄介だ。
 一つ一つ整理していこう。では、まず僕が神を信じたくない理由から話そう。僕ら人間は悲しい話だが平等ではない。頭が良く、運動も出来て容姿端麗で、なかつ歌もうまく芸術センスも優れていて、金持ちだ。そんな人間がいるかと思うと、その反対の人間がいる事だって悲しいことだが真実だ。何のとりえもなく、貧乏で世間からは隅へ隅へと追いやられていく人生。こんな不平等があっていいのかよ。なにが丸くて美しい星「地球」だ、悲しみの永久生産所ではないか!老い!神よ、いるんなら何とかしろよっ!なにが楽しんだ一体!僕らはお前が作った一つのゲームを完結させるための駒ではない。適当なタイミングで奇跡だとか、人の願い事を叶えてやるとか、そんなことの前にもっと他にやることがあるよな!飢えで苦しんでいる人々、いじめられて泣いている子供たち、その他大勢の困り、悲しみ、痛み、泣き、それ故に苦しんでいる人々、あるいは動物さんたちを助けてやれよっ!頼むから……。
 僕は、絶対的権力を持っているであろう神が本当に存在するのなら、絶対に許さないぞ。そして、その存在を絶対に信じたくはない。自分の持っている力を困っている人々、動物さんたちに使ってやらない。それが出来る存在なのに。そんなの偉くもないし、まして「神」として崇拝なんかするべきではない。というのが第一の理由だ。
 次に僕が、前文の理由があるとしても神が存在している気がしてしかたがないということについて話すとしよう。
 僕は、疑うことなしに生きてはいけない人間だ。そんな人間が「屁理屈を言っているんだなぁ」、それくらいの軽い気持ちで聞いていただきたい。
 地球が滅びない理由、人間が滅びることのない理由、万物の事柄がいつもいつも、いつも大爆発の一歩手前で進行が留まっている理由、理由……偶然?それともそれは必然?
 仮に僕、あるいは君が「神」だとしよう。自分の手の内にある美しく、生命に満ち溢れた地球。その中で生活をしている人間、あるいは動物さん。それを一つのゲームだとしよう。自分の気分、指先の動作一つで好きな方向に話を展開できる。
 そのゲームは自分の作った星、つまり地球が消滅したらそこでゲームオーバー。やり直しはなし。セーブ(記録を一度停止した状態で残し、後で再度そこから始める)もなし。主人公である人間に少しずつ文化程度を高めるヒントを与えながら、なおかつ人間自身が地球をぶっ壊さないようにコントロールする。例えば、その地球の中で一番危険でいづれはこの星をぶっ壊すであろう二ヶ国同士を適当な時期に周囲の存在に疑われないように上手いこと争わせる。すると、ふきこぼれる寸前の熱湯に差し水をしたかの如く、まだ話は先へと続く……。
 そんなゲームを最高に楽しむ方法って何だろう?僕は考えてみた。全てを円滑に進め、障害物も自分の手で全て取り払って、完全な形で無傷のハッピーエンド?それとも。中の人間や動物さん、そして生物さんたちが滅びて行く姿を一つのドラマを見るが如くおもしろおかしく見ている?そうではないことが分かった。仮にも「他人事」というのが好前提であり大前提だ。だとしたら星が滅びるか滅びないか、そして人間が滅びるか滅びないかの寸前の風景を常に見ているのが一番おもしろいことは言うまでもない。
「残酷よね。」
「汚いよな。」
「僕らは生かされているに過ぎないのかな?」 
「生きたいよね?」強く、強く。もっと、もっと強くなってやる!
でも、もし神の神経を逆なでする様なことがあれば、「偶然の事故」あるいは事件によって命を奪われかねない。
 最近では、医療技術が進んだ近年ですらも、手術ミスならぬものがあるから、ますます厄介だ。
 誰の目からも全く疑われずに嫌いな人間をこの世から葬る作業が可能なのは正直、姿の無いとされる神だけだ。僕らは姿の無いやつなんかに一生ひれ伏し続けるゲームキャラ、あるいは駒なんかとして生きるためにこの世へと送り出されたのだろうか?
 ゲーム、ゲーム、理想世界……。そうだっ!「ゲーム」とは本来ならば自分の力では実現不可能なこと、あるいは自分が現在自分であるが故に出来ないこと、そして決定的に自分には不可能な理想事象を何か別の存在の力を借りることで成り立たせているモノだ。
 いくら人間の知能が動物界一高くても、言語による意思伝達が出来ても、今日も空は飛べないし、明日も魔法なんて絶対に使えない……だろう。それは人間が人間だから。その夢や欲望を全て叶えてくれるのが、そう、「ゲームキャラ」なのだ。
 ゲーム世界では、本来不であれば可能なことが参考書よりも説得力を持ち、マンガ本よりもおもしろおかしく出来てしまう。すなわち、神は偶然に奇跡は起こせても、今現在、僕らが行っている生活や文化の形成が出来ないから、僕らを利用せざるを得ないのだ。ここまで深く考えると、神が僕らよりも強い存在であるという思想は完全に粉砕したのも同然である。奴に出来ないことが僕らには出来る。だから奴はこの世から人間を消すことができない。罪の意識を植え付けるために、焦燥感を与えるために一時的に人間の数を減らすことはあってもね。なぜかって?答えは二つ。一つは、自分の理想と夢を生(ナマ)の画像として目に映し入れることが出来なくなるから。二つ、現実があってこその奇跡で、奇跡があっての現実だ。つまり、現実をなくせば奇跡には微塵の価値も無くなるし、当然逆も成り立つ。奇跡だけの毎日、現実だけの毎日……。そう、そんなふうに嫌気が差すだろ。奇跡ばかりでは奇跡が奇跡でなくなるし、現実だけが果てしなく続くのならば、別に人間でなくても十分に生涯を楽しめるだろう。
 そう考えると、神の奴が偉いから姿が見えないのではなく、現実の僕らに姿があり、それと正反対の立場にいる存在だから見ることが出来ないと考えることができる。つまり、見えないのではなく「肉体が無い」のである。
 想像してみてほしい、神に肉体があり誰の目にも同じように映り、接点を持つことが可能だったのなら。3、2、1、はい、そこまで、答えは……そう、理想と夢の消滅。ついでに奇跡もね。表が無ければその裏も無く、逆事象についても当然そう言える。重要なのはどちらを表とするか、はたまた裏とするかである。
 僕らから見て神は裏。だが、神から見れば僕らが裏なのかもしれない(数学が大嫌いなので、切り良くこの手の話はここで辞め)。

       9 「人間」と書いて「奇跡」
 
 僕もいずれ、遅かれ早かれ肉体の消滅を迎える日が来る。でも、僕自身、人間であることが大好きな甘いものを食べるよりも、大好きなMr. childrenの甘くて美しい曲を聞くよりもたまらなく嬉しくてしかたがない。そかで、突然だが諸君に一つだけお願いがある(小説を個人の願望を叶えるために使用してはならないのは十分に理解している。が、そんなことはこの際どうでもいいか)。それは……、僕を永遠に「人間」としてこの世に存在させてほしい。ただそれだけのことである。簡単なことで、多くの人々にこの本を読んでもらってほしい。友達、自分の子供、恋人、外国人、悲しみ、苦しんでいる人々、そして他の動物さん(文字は読めずとも、僕の意思を全力で込めたので何か伝わる)。
 この世に生きとし生けるもの全ての目に映したい。そして、語り伝えてほしい。この本の存在を、白の魂の何たるかを。
 来世僕が人間として出世したときに、この世にこの本が存在していれば、僕は目から、そして心から涙を流して嬉しさのあまり泣き続けることだろう!約束をする。そしてまた本を書く。気持ちを解き放つ!それが出来るのは「人間」だけだから。存在し続けることが出来るのは「人間」だけだから。
 「人間」と書いて「奇跡」。今、この瞬間、「人間」であることに溢れんばかりの感謝と神にさえも押さえ切れない心の叫びをここに記す!
                           
制作期間 2004年4月20(火)~2004年5月23日(日)
編集完了日 2004年8月26日(木)  

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コメント

長いの読んでくれてお疲れ様→まあ感想は人それぞれだから白からは特に返さないよ♯読書は時間あ時にね♯

投稿: 白♪ムータンちゃん♪ | 2006年12月15日 (金) 00時25分

No.1読破~☆
長くて時間かかっちゃった(>_<)

印象→白ちゃんこれ書いてたときダークだった。。。?
  なんか一番強い印象が苛立ち…って感じダナ
  ん~と、いうなればハリネズミ!

感想→う゛~、難しい。。。
  投げかけてるテーマが深くてすぐに答えででないヤ
  神様か。。。
  うちは信じてないわけじゃないけどどっちかとゆーと
  「八百万の神」
  精霊見たいなもんの方の存在を信じるナ♪


読書は好きだし、時間のある時にぼちぼち読み進めるサ~♪

  

投稿: ムータン | 2006年12月14日 (木) 23時53分

ミカちゅわ~んオハ☆ハズイッ!けどホントに100アリガト~ ♥(。→v←。)♥ この作品〈旋律〉は白がはじめて描いた作品だから今も強く心に残ってるんだわ☆今あらためて読んで見るとスッゴイハズイ〈≧☆≦〉んだけどね!表現に強弱も無くって全部強だし、韻もないし、リズムもないし順番もめちゃくちゃでネ~でもね、描きたかったことをそのまんま描いてるって言う点では白の始まりなんだよね☆読んだら感想聞かせてホシイナリ♪ゆっくりでいいからさ☆▽<// ☆”

投稿: 白♪ミカちゃん | 2006年8月24日 (木) 11時41分

こんな白チャンにとっては懐かしぃページにコメントしちゃって気付ぃてもらぇるカナ…ヾ(;→㉨←)ノ??
早速白の旋律読み始めましたぁ♬

投稿: みか | 2006年8月24日 (木) 11時26分

私は心の中に神様がいるよ。
その神様は不思議なもので、自分が必要としているものに
出会わせてくれるの。
友達に会いたいなーって思ってたら、偶然旧友と街でばったり会ったり。
実はこの夏ね、何か本読みたいなーって本屋さんに行って毎日うろうろしてたんだよ。
そしたら白ちゃんに出会えたでしょ。
きっと心の神様のおかげだって思ってるよ。

投稿: ぴぐれっと | 2006年8月 5日 (土) 23時20分

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